フェニックス・ライジング・ヨガセラピーの特徴

フェニックス・ライジング・ヨガセラピーの特徴

こんにちは、iru yogaの柏木文です。

今回は、私が個人セッションとして提供している、フェニックス・ライジング・ヨガセラピー(以下、PRYT)の特徴について、自分の体験記を交えながらご紹介します。

PRYTの個人セッションは、マンツーマンで行われます。クライアントはプラクティショナー(セラピスト)のサポートを受けながら体を動かし、いくつかのポジションで体が最大に開かれる場所(エッジ)を探ります。この「エッジを通して自己探求する」という点が、PRYTの特徴の一つです。

体を通しての自己探求

エッジとは

PRYTでは、体をある形(ポーズ)に運んでいった時、最大に開かれていると感じるポジションを「エッジ」といいます。最大に開かれるといっても、ギリギリの限界ではなく、”きつ過ぎず、ゆる過ぎない”、ある程度の強い感覚が生じていて、呼吸ができるところです。

そこでは、強い感覚にとどまり続けるため、体が深い呼吸を必要とし、マインドは自然とその強い感覚にフォーカスされていきます。いわゆる「マインドフルネス」が起きやすい状態、そして時に潜在意識(無意識)への入り口となる場所、それがエッジです。

エッジでの体験記

このエッジにとどまると何が起きるのか、さっそく私の体験記*をサンプルとして見てみましょう。なお、この時に体験していたのは、片脚を上げたポーズ(仰向けになった状態で、片脚が床と垂直になるくらいプラクティショナーに上げてもらう)です。

*COVID-19の流行前に、対面で行われたセッションの体験記です。

エッジにいる時、プラクティショナーが私のポーズをサポートするために力を使ってくれているが、その力に反発するように、自分の中にも力が生まれるのに気づく。私の中には、「もっと脚を伸ばしたい、蹴るようにして跳んでいきたい」という感じが湧いてきた。時に、自分の体が仰向けではなく、上げている片脚で立っているような、上下が逆転したような感覚もやってくる。それくらい、私の上げている脚は力強く前へ進みたがっていた。同時に、お腹や喉の辺りからも、何かが勢いよく飛び出ていくような、突き上げるような感覚があった。

これは、エッジがもたらす強い感覚にフォーカスするなかで、私の中に生まれた気づきです。文章にすると筋書きのあるストーリーのように見えますが、実際は何が起きるかはわからないまま、エッジの奥に潜んでいるものが浮上してくるのを全身を開いて待ち、湧いてくる感覚や思い、感情などがあればそれについていっているだけです。しかし、そこで起きることには、日頃、考えていることを超えたパワフルさがあり、まっすぐで正直な声であることが多いので、自分でも驚くことがあります。

この体験を記した時期は、自分の中で「組織から独立する」という選択肢について考え始めた頃で、その可能性を描こうとすると、恐れや不安によって覆い尽されて、思考が停止してしまう、そんな状態でした。だから、エッジという瀬戸際において、自分の脚が力強く跳びたがっているということに驚きと嬉しさを感じたことを覚えています。

体験記は次のように続きます。

しかし、ある瞬間に気づく。私はものすごく力を入れているけれど、そんなに力む必要があるのだろうか、と。そのとたん、体全体がリラックスして、プラクティショナーの支えに委ねることができた。自分が「ただそこにいるだけ」という感じになると、力とともに飛び出そうとしていた時とは全く違う感覚やフィーリングがやってきた。力を手放した途端、体全体が感じられるようになったのと同時に、力まなくても自然と前に進んでいくようだった。さっきまでの飛び出していこうとする勢いや熱さは、全体の一部が突出して起きている感じだったが、今は自分の全体とつながっていて、そこに広がりや静けさを感じている。こちらの方が気持ちが安定して、心地よいと感じられた。

当時、どこにも着地できないような不安感を抱えていた自分にとって、「エッジにいるにもかかわらず、安定感や心地よさを感じられる」という体験は、もっと自分を信頼してもよいのだと体に教えてもらったようでした。

もちろん、この体験や気づきは私個人のもので、もっと言うと、当時の私に起きたことであり、今の私が同じポーズを体験したら、また違った気づきが起こり得るはずです。他の人が同じポーズを体験したら、さらにその人固有の気づきが起きるでしょう。

気づきを言語化する

私がこの時のエッジ体験を文章にできているのは、エッジにとどまっている間、自分の気づきを声に出していたからです。PRYTのセッションでは、エッジにいるクライアントに、プラクティショナーが「今、何が起きていますか」と問いかけ、気づきを促します。この言語化するプロセス、そして言語化できないというプロセスも含めて、PRYTのユニークなところです。

エッジ体験をリアルタイムで言葉にすると、普段の会話とは違って、理路整然とはなりません。また、感覚的で抽象的な表現も多くなります。頭で整理して話すのではなく、リアルな感覚だけを頼りに、即興的に言葉を発している感じです。なので、自分で口にした言葉でも、言っている意味がわからないことも起こり得ます。また、自分の言葉、声を聞くことで、ハッと気づかされることもあります。

体験の統合

日常生活とのつながりに気づく

セッションの後半は、エッジ体験を統合するプロセスとなります。その一つが、体験のハイライトを日常生活と統合していくステップです。私の体験記から見てみましょう。

体験のハイライトの一つは、力を入れて前に進もうとしていたあり方。日常生活において、私は「自分が何かしないと人生は動いていかない」と思う傾向がある。だから、人にサポートしてもらうことに遠慮がある。また、自分はどうしたいのか、正直に人に話す機会も少ない。ハイライトとなった体験は、そんな自分と重なる。

もう一つのハイライトは、力を緩めてリラックスしても、自然と前に進んでいくような感じもあったこと。日常生活でそんな感覚が起きたのは、自分のことを人にオープンに話したり、感じていることを正直に伝えたりする関係がある時で、その中で誰かが自分に新しい可能性を提案してくれた時だ。それは自分一人で考えているだけでは生まれないだろうと思う可能性の話だったので、前に進むベクトルは、自分の中だけにある訳じゃないと気づかされた。

体験記の内容は少しわかりづらい表現かもしれませんが、プラクティショナーに脚を上げるサポートしてもらった体験から、日常生活での自分の姿が浮き彫りになっています。普段の自分は、一人でなんとかしようと力みがちですが、誰かに自分の話を率直にすることで、力まずとも道が開かれていくような体験があったことを思い出すのです。

そして、セッション後、さらに気づきが深まったようで、次のような体験記も残っています。

しばらくたってから気づいたことがある。人生という川は、自分の力で漕いでいくことも必要だが、川の流れに乗っていくためには、リラックスして流れを感じて、周囲の景色や人との巡り会い、その一期一会を大切にすることも重要だ、と。

このように、自己探求のプロセスは、セッションが終わって日常に戻った後も続いていくのです。

体の知恵を聴く

PRYTのセッションには、さまざまな統合の方法があり、体の知恵に耳を傾けるというスピリチュアルなアプローチもあります。例として、私の体験記を紹介します。

目を閉じて体に注意を向けると、みぞおちや肩のあたりに暖かさを感じた。その暖かさを感じていると、自分の視野が広くなり、ハートも開かれていくようだった。日常でもその感覚とつながっていたら、もっと人に思いやりをもって接することができるかもしれない、人の話を聞くことが私の喜びになるかもしれないとも思った。

それは、私が願う生き方であると感じる一方で、少し慣れない感覚でもあるから、ずっとハートを開いたままでいると、閉じたくなる感覚も同居していた。自分の奥底で求めていること、恐れていること、それらを正直に感じていたら、今の自分を丸ごと受け止めるのが楽に思えた。自分が願っていることを認めることで、少しずつかもしれないけれど、そこに向かって行動できる可能性が感じられるようになった。

ここでは、心を開いて、他者とつながることが自分の願う生き方であると再確認するとともに、それに付随する体やフィーリングの正直な声が存在することにも気づいています。自分の中にある矛盾した気づきをそのまま受け止めること、心の多面性に寄り添うことで、自己受容することができているようです。

私の個人的な体験から思うPRYTの強みとは、体や呼吸、感情、マインドなど人間がもっているさまざまな領域を包括してセッションを行うところであり、一人の人間の存在を統合し、肯定し、癒しをもたらしてくれるところだと感じています。